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zoom RSS Davao city 亜細亜から南米旅行 二十四日目、二〇一六年三月二十四日【木】

<<   作成日時 : 2017/06/19 13:34   >>

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今は昔・・・・・、水が良くなりて嬉し。大きなかたに移りてきしかば、今夜はとく寝む・・・・・・・・・詠み人知らず

〈旅の日記から〉原文のままに・・・・・。

二十四日目 :Davao city *通算3回目
宿泊 :Larous Pension   *350ペソ(約840円)  
両替    :なし
食費    :朝食 パン14P *(約34円)
      :昼食 ジョリビー・ハンバーガー *99P(約238円) 
      :夜食 酒を飲む
雑費    :ビール・水・ウォッカ・えびせん*200P(約480円)
バス代75P *(約180円)
      
 
ダバオへ戻る。長かったタグムでの滞在も終了。朝8:30のバスでダバオへ(75P)。明後日、バスで空港へ行くので、しっかりと降りる場所を確認した。10:15頃エコランド着。歩いてサン・ペドロ通りへ来た。今日はホーリーの祝日で、車が極端に少ない。サン・ペドロ教会前で通行止めになっていた。宿はダバオに最初に来た時に利用したラ・ロウスへ。エアコン無しで350P。テレビは無いが部屋は広く、室内にトイレ・シャワーあり。水道水もタグムより少しマシになった。Wifiはフロント近くしか使えない。今日はビールを飲んで早く寝よう。


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次回更新時に本文の中で回答します!!


 フィリピンの交通といえば、バスですよね。長距離の移動ならバスだし、町から町への移動にもバス、またマニラやセブなどの人口が集中している地区には市内バスがある。電車や汽車などは、マニラにはあるけれど、フィリピン全国的に見たら、無いに等しい。そんなところにLCCが登場し、格安で長距離を移動できるようになった。今まで長距離バスを利用するしかなかった人達が突然、格安の料金で飛行機を使えるようになった。 これって、移動という階段を2つ、3つ飛び越したようなものじゃないですか?
 電話にしてもそうです。今まで一度も自宅に電話を引くことができなかった人が、いきなり携帯電話を使うようになった。もちろん、最初は中国製のちゃっちいやつですが・・・。これも通信という分野で階段を2つ、3つ飛び越したようなもんですよね。

写真は、ダバオのバス・ターミナル【エコランド】、ここを起点として各地へのバスが発着する。
ダバオのバス・ターミナル【エコランド】,Ecoland Bus terminal of Davao city



 こんな夢のようなことが実際に起こったのですから、これから先、もっとびっくりするようなことが現実になるかも知れませんよ。例えば、利用可能な国土が無限に等しく広がっているフィリピンのことですから、建築技術の革新によって、ものすごく安い費用で高層ビルが立つようになり、今まで木造の家にしか住めなかった人々が、いきなり高層住宅の住人になる・・・なんてことも考えられる。また、海に囲まれている島々で構成されているフィリピンですから、近海で大量の鉱物資源が発見され、これから数百年間は莫大な利益をうるようになる可能性だってある。もしも、そんなことが現実になったら、今でも南国気質で物事をポジティブに考える人達ですから、将来の利益を当てにして、実際にお金が懐に入る前に、使い果たすかも知れません・・・・・・ありそうだなぁ!! 

写真は、ダバオ中心街近くを流れるダバオ川
ダバオ川,Davao River,Mindanao



【ボヘミアンへの路】その16

 ロンドンでのアルバイト生活は突然、終わることになった。オーストリア・レストランで仕事をした縁で、せっかくフランツと良い友達になったのだが、私にはまだまだ旅を続けたいという気持ちが強かった。イギリスだけで終わるわけにいかなかったし、YTBに親しい日本人旅行者がいて、情報交換するうちにアメリカ行きの話が持ち上がっていた。しかし、貧乏旅行者である自分には大した蓄えもないし、英語も幼稚なものだった。アメリカ・ビザの取得に失敗すれば、二度とアメリカ行きは実現しないかも知れない。運を天に任せ、アメリカ行きを決断し、私はレストランのマネージャーに店を辞める意思を伝えた。そしてフランツにも「アメリカに行く」と宣言した。レストランではすぐに私の後釜となるモロッコ人が入ってきた。自分の決心が変わらないうちに、私は同じ時期にアメリカ行きを企んでいた友人と一緒にアメリカ大使館へ出掛けた・・・・つづく。


写真は、サン・ペドロ教会前で食べたドリアン・ソフトクリーム
ドリアン・ソフトクリーム,Durian ice-cream cone
 


【ボヘミアンの思い出倉庫】 その16
 
 ニューヨークには日本から派遣された会社員が非常に多く働いていて、その人達はニュージャージーという地区に住んでいた。日本食料品店や、各種のサービスを提供する日系の店舗が多い地区だ。その次にあげられるのはクイーンズという地区で、ここにはラテン系の住民が多く住んでいた。私も数年後、ここにアパートを借りて住んだ。マンハッタンには地下鉄で通勤した。そして、最後はブルックリン地区だ。ここは黒人が多く住む地区で、住むにはなかなか勇気がいった。しかし、ここの地区に住み着いて快適な生活を送っていた人もいたので、一概に危険な地区というわけでもなさそうだ。ニュージャージーが一番住みやすいが、移住に伴う費用が会社持ちならともかく、個人で賃貸物件を借りるにはかなりきついことになる。ブルックリンに移るとすれば、そこに友達でもいれば、安心だが、私の知り合いにブルックリンに住んでいる人はいなかった。・・で、結局、クイーンズ地区に移ることになった・・・・・・つづく。


写真は 、Larous Pensionのシングル、350ペソ・ファン・シャワー・トイレ付き
ダバオのラ・ロウス・ペンション、Larous Pension Single room,davao
 



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